商品説明
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内容紹介
このエッセイが出版された1935年は、その二年前に隣国ドイツでヒトラーによるナチス政権が樹立し、ロシア(ソ連)ではスターリンによる独裁体制が強固な足場を作っている最中という、近、現代史上まれに見る政情不安な時代であった。(中略)しかしハウジンガはこのような事態を単に政治的問題として取り扱わなかった。彼は、このような事態はそれよりもはるかに広範囲に広まっている現代人の精神的病弊の一つの表れに過ぎないと見たのである。ハウジンガのこのエッセイは、現在よく「予言的」だと言われる。彼が今から70年以上前に唱えた現代人の精神的病弊が、我々の生きている現在この時点の現代人の精神状態そのものだと思わざるを得ないからである。ハウジンガがこのエッセイで鋭くえぐりだしているのは、何もファシズムやコミュニズム、経済混乱や社会現象といった、派手に目につく表面的な事象だけではない。それらをも含めて、「現代」が抱える様々な問題を引き起こす精神の問題、そしてその精神が生み出す文化の問題なのである。現代人の精神そのものが病んでいるから現代の政治も経済も教育も広報も、全てが病んだ様相を示しているのだ。ではこういった精神的病弊を彼はどうやって克服しようとしているのか。彼は二つの、現在人にとっては非常に困難に思われる解決の糸口を示している。それが「献身」と「自制」である。ハウジンガの要求する精神態度は非常にストイックである。便利なものはあること自体が悪いのでは決してない。ただ、それに呑み込まれるような生き方をするな、いつでも「なくても生きられる」精神状態をしっかりと確保せよ、ということなのだ。これこそが「自制」であり、これが出来るためには非常に高度な精神力と意志力を必要とする。彼の言う「献身」とは「禁欲」(原文ではaskese(ascese))であり、これは「努力、鍛錬」(exercise)をも意味する語である。つまり彼の言う「献身」と「自制」とは、表裏一体の精神なのである。 しかしハウジンガは言う、「私はオプティミストだ」と。彼の言う「オプティミスト」とは、一般に言われているような底の浅い意味でのそれではない。「改善への道がほとんどどこにあるかも見えない中で、それでも希望をあきらめない人を私はオプティミストと呼ぶのである」(第七版の序文)。
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